リンク集

過去ログ

記事一覧

年賀状デザイン

今年は簡単に済ませた。
SKETCH UPで形を彫りだした。
考えてみればいつも年賀状は三次元のデザインそのもの。
影と色をつけて現実っぽく見せていただけ。ならば3Dが一番。
と言う訳で、今年からソフト上で削り出すことにした。

まさに削り出すという表現がぴったしのスケッチアップ。


極北のシベリアンタイガーのイメージ。厳寒期に生き抜くという意味。
スケッチアップでは曲面に直角に立体が貫通できず、半ばでヘコタレタ・・・。
実寸直径28mの巨大円筒から切り出した。
ファイル 55-4.jpg


今年の鉛筆ラフスケッチはこれ。
ファイル 55-1.jpg


こちらは1998年版、結構気に入っている。
虎の保護模様を脱ぎ捨てる、という意味がある。この2年後に保護区だった千葉県を出て、東京へ出た。
ファイル 55-2.jpg


こちらは1986年版、プリントゴッコで印刷した。
当時はただの白黒画像で表現に乏しかった。
床も虎文字型に彫りこんであるのだが、
誰も虎という文字の内部空間である事を理解してくれなかった・・。
ファイル 55-3.jpg

4年目の追悼 佐藤美紀雄先生

調子にのって我孫子白山マンションの資料を探してみた。
古いフォルダに眠っていた新聞記事を掲載した。
http://www.space-o.com/kiji01.html

全部、佐藤美紀雄先生の書いた記事だった。亡くなられてもう4年になる。

3つ並べてみた。悲しみがこみ上げてきた。
この我孫子白山がきっかけで時々お会いするようになった。

東京に事務所を移したときに、時々水道橋の事務所をたずねて
設計事務所と相性のよさそうなディベロッパーの名前を教えて貰った。
考えてみれば、彼は評論家であり、殆どのディベロッパーが快くは思っていなかったはず。
深く考えもせずに佐藤先生の知識と豊富な人脈を勝手に想像していた。
あの有名な10点法による評論記事を書くたびに、彼は胃の穴を深くしていたのだ。
彼は小さくても志の高い事業者の味方だった。という事は比較にならないほど大多数の大手業者は逆の立場をとっていたはず。

今年は何故か胃痙攣を二度起こした。一度は救急病院に休日自力でたどり着いた。
あの痛みはきっと私に佐藤先生の痛みの少しでも感じろという事かもしれない。
先生頼ってばかりでしたね。
連れて行っていただいた、行きつけのカラオケ屋さんで直立不動で歌う先生の背後には
雪の故郷秋田へ向かう機関車が見えていましたよ。

1995年我孫子マンション着工前

1997年に竣工した我孫子マンションが12年目を迎えた。
どういう巡り合わせか、私のところに大規模修繕工事のコンサル依頼があった。
かつての事業主社長の紹介だった。

自社で大規模修繕を受けるのは初めて。
過去に2度ほど経験はあるが、他社が設計した物件には興味がわかない。
そもそも建物の躯体まで判定できない。

この建物は私が独立して最初の分譲マンションだ。それもバブル期に数多く手がけ、設計まで終了したのに着工前に全てはじけ飛んだ斜面地マンションの集大成だった。

これのコンサルを自分がやらずして誰がやる。と思って引き受けた。
ほぼ採算度外視。
コンサルという立場も初めてだったので報酬もいくらにしてよいか分からず、後で改修工事に詳しい知人に数字を言ったら呆れられた。

建築は年を経て良くならねばならない。年輪が刻みついてこそ、本物と思っている。
自分で開発から監理まで全てやった物件は愛しい。
その骨(構造)から血(設備)肉(躯体仕上)に至るまで知り尽くしている。
勿論、生まれた経緯も、長い工事中の尽きぬ思い出もみんな、みんな全て含めてこの建物は建っている。

そこで滅多にやらない事だけれどここに着工前の現地調査写真を掲載します。
1995年10月。竹林に眠る40度の傾斜地。
ファイル 53-1.jpg
南側の道路から見た敷地。鬱蒼としている。
ファイル 53-2.jpg
お隣のマノービューから見た敷地。竹は高さ10m以上ある。
勿論中は歩ける角度ではない。
ファイル 53-5.jpg
南側道路を上の写真と反対側(西から)見ている。
ファイル 53-3.jpg
西側階段道路を見ている。
ファイル 53-4.jpg
同じく西側階段をもっと北側から見ている。

上野のレトロな床屋さん

最近良く行く床屋さん。
思いっきり昭和でレトロな雰囲気。
それだけでも一度は入る価値がある。
ご近所なので気分転換も兼ねて上野の山をおっちらこと降りていく。
ファイル 52-1.jpg

その名は齋藤理容館。上野郵便局並びにある。
建物年齢は軽く50歳超、木造2階建て。
ファイル 52-2.jpg

店の中はこんな感じ。
半世紀以上前に制作されたイスが皮艶も良く現役で並ぶ。

ファイル 52-3.jpg
でもこれだけなら、何度も通わない。
この店の最大の売りはご主人の技術にある。
髪が薄くなった我ら中年。
一番気になるのは髪が乱れた時の格好悪さだ。
惨めな濡れた犬のような髪にだけはなりたくない。
若い時のように乱れても若さの香りがかえって引き立つような
あの雰囲気を出来れば醸したい!

さすがにワイルドさは無理にしても、
風を孕むとふわりとマッシュルーム型に自然にふくれ、
悩み頭をかきむしったあとでも、ライオンのような雄雄しさが甦る。
そんな中年のオヤジ頭を演出するカットがさりげなくなされている。

昭和の椅子は固く、高く、岩山の上にいるようだ。
ここでリラックスするには馴れが必要。
でもゆるゆると過ぎていく上野の山の午後の時間を共有出来るようになると
不思議に、椅子の上の体が柔らかくなっていく。

上野に棲むおじさん達のために。

コーポラティブセミナー

久々にコーポラティブ関連のセミナーに行ってきた。
場所は神田にあるとしまち研。
40名近く集まり盛況。

何故ここで足踏みしているのだろう、それすらも良く分からなくなっている。
どれ位の長い月日があれから経っているのか、あの時に何をして
何を目指していたのか、良く思い出せないでいた。
それが理事長の杉山さんの人懐っこい笑顔を見たら、氷が徐々に解けていくように思い出し始めた。

あの夏の暑い日々。汗で濡れたシャツを着たまま歩き廻り多くのことをした事。
とにかくきっかけが欲しくて、しゃにむに進もうとした事。
でもその時は誰も答えてくれなかった。
投げかけた1千の言葉に一言の答えも帰ってこなかった。

具体的に手を挙げてくれた人もいなかった。
元々それが出来る人は東京でもごく僅か。
その貴重な人々は当時事業に疲弊し、時代に逆行され、
私のことを見るどころではなかった。
ならば自分で、と無謀にも始めようとしたが・・・。

そこまで思い出した。
時間は止まったままだ。
余りにも格好悪い、やりかけて放り出すなんて。

セミナーを聞きながら、杉山さんが具体的に言おうとしない数字まで自分で煮詰めていた事、
多くの本を読み、みなの意見を聞きながら、
事業収支プログラムを何度も作り直した事を思い出していた。

あの時の土地は未だ眠ったままだ。
あの時の意志は浅い土の下で惰眠をむさぼったまま。
自分で何かをやろうとする事は恐ろしく格好悪い事だ。

勇敢で、素晴らしいなどと言う人は、本当に地にまみれたことの無い人かもしれない。
宣言し、失敗を繰り返す度に、心は打ちのめされていく。
いやいや、そんな事はもうどうでもええ。

力んでもダメ。力抜いて両手を下げて、頭だけ上げておこう。
新しい形、新しい集合住宅の供給方式、
今まで作り上げてきた日の目を見なかった多くのアイデア達。
過去を見ながら売れるものを作ろうとするディベロッパー達にことごとく潰されたプラン。
これらは、私のスケッチブックの中で死に絶える為に生み出したのではないはず。

力まずに立ってみよう。もう一度。

コンペだ

この世知辛いご時世にコンペだ。設計競技だ。
だから走る、走る。日々の雑音を忘れ没頭しようにも
忘れようとすればするほど向こうからまとわりついてくる。
じゃれるな、雑念共よ。

頭に血が昇り、誰もかけていないのに独りプレッシャーにあえぐ。
いつものボリュームチェックならせいぜい2日で出来るのに
もう1ヶ月たったのに、法規の全てを置いてきぼりにした事に
気付く。あれ、公共建築物って超法規じゃないのかい?
駐車場法も緑化も指導要綱もいらないのでは??

コンペの要綱=指導要綱では?と勝手に思っていたのが大間違い。
あえぐ、普通の建築と同じじゃん。

かくして普通に戻って普通に設計やり直し。
でもこの1ヶ月で鉛筆が走るようになった。うれしい。
ざらっとした独特な触感、太くざらついた線が感覚を乗せて
滑る。早く遠くまで勝手に走る。
だから何気なく描き始めたスケッチも気付いたらA3の紙一杯に広がり驚く。
それでも紙の端っこでびったし収まっている。何故?

かくして今日も戦いは続く。体をリラックスさせて、内面に集中する。雑念だらけのこの体を先ず浄化しなければ、回答は無い。

そういえば久々にキラキラ輝く金属の球体が降りてくるビジョンを見た。ものすごく美しかった。
ああ、心が大分解き放たれている。そう感じた。