更新しました。
最近図面や成果図書をPDFで送ることが大変多い。
ただ図面だと縮尺がぴったり合っていないと意味が無い。
たまに印刷時に縮尺が合わない、お客様に言われる。
そこで自前で解説ページ作成しました。
http://www.space-o.com/topic-PDFprint.html
いい感じです。自画自賛。
有機的デザインとフォルムを求めて
更新しました。
最近図面や成果図書をPDFで送ることが大変多い。
ただ図面だと縮尺がぴったり合っていないと意味が無い。
たまに印刷時に縮尺が合わない、お客様に言われる。
そこで自前で解説ページ作成しました。
http://www.space-o.com/topic-PDFprint.html
いい感じです。自画自賛。
分譲事業の収支計画表を更新した。
総合企画面積表と連動している。
コーポラティブ方式の収支計画表にも瞬時に変身する。
最初のボタンで選択するだけ。
これで総合企画面積表は法規自動チェックに始まり、設備自動チェック、解体費計算、概算建築費自動計算、分譲事業収支自動計算と全てに対応する
優れものだ。と自画自賛するもここ数年出番が無い。
少しずつ動きがある。
不動産会社は2年前は完成済み物件を安く購入し別の事業主となって販売した。
1年前はそれも尽き、着工途中で止まった物件をこれまた安く購入し販売。
今ではそれも終わり、確認申請を取得し止まっている物件を買うか、全く新規に土地購入から始めるか、の選択を迫られている。
新聞に書いてあるような華々しく売り上げ増加!といった表現は自前で資金調達できる財閥系を始めとする大手不動産業者だけ。
上場していても中堅不動産業者は資金繰りが苦しいのだ。
勿論苦しいのは不動産業だけではない、2007年10月の不動産バブル崩壊で多大な負債を負った建設業も、設計事務所も同じだ。
どちらも、おいそれとは受け入れられない。
始めたい、始まらない。でももうすぐ・・・。
新しく概算建築費自動計算表を作成した。
今まで分譲マンションにしか対応していなかったのを
6種類の建物に対応できるようにした。
旧来は10年以上前に作成したパターンがあった。
これは厳密にモデルの建物を作り、その建築費をこれまた厳密に計算し、重量比、表面積比、等々から詳細に計算していた。
これはすごく役に立った。でも時代の変化に素早く対応できない。
経験の少ない建物は分からない。
条件入力に手間がかかりすぎる。全然依頼が無い。
かくして費やした膨大な時間は徒労に終わった・・。
で作ってみたのが新しいバージョン。
その時々のデータから自動的に構成比率で算出し、
細目を詰めていく方式。
殆どが標準建物(平均)との比率から求められる。
こちらはわずか数項目入力するだけ。1分もかからない。
暫定版として世に出していたが、一部の業界では評判は良い。
これも多くの経験を積んだからじゃ。と一人ほくそえむ。
調子にのって我孫子白山マンションの資料を探してみた。
古いフォルダに眠っていた新聞記事を掲載した。
http://www.space-o.com/kiji01.html
全部、佐藤美紀雄先生の書いた記事だった。亡くなられてもう4年になる。
3つ並べてみた。悲しみがこみ上げてきた。
この我孫子白山がきっかけで時々お会いするようになった。
東京に事務所を移したときに、時々水道橋の事務所をたずねて
設計事務所と相性のよさそうなディベロッパーの名前を教えて貰った。
考えてみれば、彼は評論家であり、殆どのディベロッパーが快くは思っていなかったはず。
深く考えもせずに佐藤先生の知識と豊富な人脈を勝手に想像していた。
あの有名な10点法による評論記事を書くたびに、彼は胃の穴を深くしていたのだ。
彼は小さくても志の高い事業者の味方だった。という事は比較にならないほど大多数の大手業者は逆の立場をとっていたはず。
今年は何故か胃痙攣を二度起こした。一度は救急病院に休日自力でたどり着いた。
あの痛みはきっと私に佐藤先生の痛みの少しでも感じろという事かもしれない。
先生頼ってばかりでしたね。
連れて行っていただいた、行きつけのカラオケ屋さんで直立不動で歌う先生の背後には
雪の故郷秋田へ向かう機関車が見えていましたよ。
1997年に竣工した我孫子マンションが12年目を迎えた。
どういう巡り合わせか、私のところに大規模修繕工事のコンサル依頼があった。
かつての事業主社長の紹介だった。
自社で大規模修繕を受けるのは初めて。
過去に2度ほど経験はあるが、他社が設計した物件には興味がわかない。
そもそも建物の躯体まで判定できない。
この建物は私が独立して最初の分譲マンションだ。それもバブル期に数多く手がけ、設計まで終了したのに着工前に全てはじけ飛んだ斜面地マンションの集大成だった。
これのコンサルを自分がやらずして誰がやる。と思って引き受けた。
ほぼ採算度外視。
コンサルという立場も初めてだったので報酬もいくらにしてよいか分からず、後で改修工事に詳しい知人に数字を言ったら呆れられた。
建築は年を経て良くならねばならない。年輪が刻みついてこそ、本物と思っている。
自分で開発から監理まで全てやった物件は愛しい。
その骨(構造)から血(設備)肉(躯体仕上)に至るまで知り尽くしている。
勿論、生まれた経緯も、長い工事中の尽きぬ思い出もみんな、みんな全て含めてこの建物は建っている。
そこで滅多にやらない事だけれどここに着工前の現地調査写真を掲載します。
1995年10月。竹林に眠る40度の傾斜地。
南側の道路から見た敷地。鬱蒼としている。
お隣のマノービューから見た敷地。竹は高さ10m以上ある。
勿論中は歩ける角度ではない。
南側道路を上の写真と反対側(西から)見ている。
西側階段道路を見ている。
同じく西側階段をもっと北側から見ている。
久々にコーポラティブ関連のセミナーに行ってきた。
場所は神田にあるとしまち研。
40名近く集まり盛況。
何故ここで足踏みしているのだろう、それすらも良く分からなくなっている。
どれ位の長い月日があれから経っているのか、あの時に何をして
何を目指していたのか、良く思い出せないでいた。
それが理事長の杉山さんの人懐っこい笑顔を見たら、氷が徐々に解けていくように思い出し始めた。
あの夏の暑い日々。汗で濡れたシャツを着たまま歩き廻り多くのことをした事。
とにかくきっかけが欲しくて、しゃにむに進もうとした事。
でもその時は誰も答えてくれなかった。
投げかけた1千の言葉に一言の答えも帰ってこなかった。
具体的に手を挙げてくれた人もいなかった。
元々それが出来る人は東京でもごく僅か。
その貴重な人々は当時事業に疲弊し、時代に逆行され、
私のことを見るどころではなかった。
ならば自分で、と無謀にも始めようとしたが・・・。
そこまで思い出した。
時間は止まったままだ。
余りにも格好悪い、やりかけて放り出すなんて。
セミナーを聞きながら、杉山さんが具体的に言おうとしない数字まで自分で煮詰めていた事、
多くの本を読み、みなの意見を聞きながら、
事業収支プログラムを何度も作り直した事を思い出していた。
あの時の土地は未だ眠ったままだ。
あの時の意志は浅い土の下で惰眠をむさぼったまま。
自分で何かをやろうとする事は恐ろしく格好悪い事だ。
勇敢で、素晴らしいなどと言う人は、本当に地にまみれたことの無い人かもしれない。
宣言し、失敗を繰り返す度に、心は打ちのめされていく。
いやいや、そんな事はもうどうでもええ。
力んでもダメ。力抜いて両手を下げて、頭だけ上げておこう。
新しい形、新しい集合住宅の供給方式、
今まで作り上げてきた日の目を見なかった多くのアイデア達。
過去を見ながら売れるものを作ろうとするディベロッパー達にことごとく潰されたプラン。
これらは、私のスケッチブックの中で死に絶える為に生み出したのではないはず。
力まずに立ってみよう。もう一度。